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ヒュヌマンずちぎ 倖務省政策アドバむザヌ䞋野新聞(2003幎11月24日)

曎新日2019幎8月30日

政策協力通し倚くの人救う

医垫䞀人の力に限界

倖務省政策アドバむザヌ

囜井修さん41


 倖務省ず医孊博士―。奇異ではあるが、重芁な組み合わせである。

 政府開発揎助(ODA)の保健、医療分野で、日

本がなすべきこずをアドバむスする初めおの専門家だ。

 正匏な圹職は倖務省経枈協力局調査蚈画課の課長補䜐。ず蚀っおも根っこからの圹人ではない。

 自治医倧を卒業埌、栗山村の蚺療所に勀務しおいた時、非政府組織(NGO)掻動でアフリカの゜マリアを蚪れ難民などの治療にあたった。しかし出者は治療しおも自宅に垰るず、たた元の症状に戻っおしたう。

 家族に同じような病人が倚いために再び感染したり、劣悪な䜏環境の圱響で別の病気にかかっおしたうのだ。それにい぀たでも珟地で治療を続けられるわけではない。自分がそこを離れれば「元の朚阿匥」である。

 「医者が䞀人でできる郚分は少ない。䜕ずかもっず倚くの人を救えないか」ず、はがゆい思いをし、「囜党䜓の医療システムを倉えなければ、根本的な解決にならない」ず痛感した。

 その埌、長厎倧医孊郚の熱垯医孊研究所、米囜・ハヌバヌド倧孊院(公衆衛生孊)を経お母校の自治医倧で座孊の助手を䞀幎間勀め、東京郜新宿区の囜立囜際医療セン

タヌに。

 NGO掻動でこの間も、アフリカや䞭南米、

東南アゞアなどの途䞊囜で、患者の治療に奔走した。しかし、゜マリアでの「なぜもっず倚くの人を助けられないのか」の悔しさは付きたずった。

 特に囜立囜際医療センタヌに勀務した五幎間は、い぀もプロゞェクトが決たっおからの海倖掟遣だ。このため「自分ならこんなふうに囜際協力をするのに」ず、囜の蚈画に䞍満があった。

 ず同時に「それなら内郚政府に入っお䜕ずか倉えられないものか」ずの思いも匷かった。

そんな折に「倖務省で保健、医療分野での囜際協力の蚈画策定に携わっおみないか」ず誘いがあり、二〇〇䞀幎十月、䞉幎の任期で匕き受けた。

 今の仕事はこれたでの経隓や人脈を生かし、政策アドバむザヌずしお「保健、医療分野で日本ずしおできるこず」をたずめ、ODAに盛り蟌む。サミット先進囜銖脳䌚議などでも、囜際貢献策を明確に打ち出す。|

 ODAに占めるこうした分野の割合は2.5%だが、海倖ぞは毎月、出匵しお日本の立堎を説明。珟地の人が䜕をできるかや、そこでの人材育成策などを探っおいる。

 父芪は病院の怜査技垫、母芪は看護垫長だった。ずもに倧田原垂で健圚。こうした家庭環境に加え、高校時代からシュバむツァヌやマザヌテレサぞのあこがれがあり、医者になろうず思った。

 来幎九月には任期が切れる。匕き続き倖務省にずどたるか、埌進に道を譲るかは決めおいないが、「もっず倚くの人を助けたい」ずの情熱だけはどこにいおも同じだ。

くにい・おさむ

倧田原垂生たれ。宇郜宮高校、自治医倧を卒業。東倧医孊郚倧孊院囜際地域保

健孊で講垫を歎任埌、倖務省に。脳卒䞭の研究で博士号。劻ず2男1女。東京郜板橋区圚䜏。


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