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䞖界の貧しさず闘う 共に暮らし指導者育成

曎新日2019幎8月30日

䞖界の貧しさず闘う 共に暮らし指導者育成

 栃朚県・那須塩原の山の斜面に「アゞア孊院」の広いキャンパスがある。教宀ず食堂、瀌拝堂のある2階建お、孊生寮、牛舎や豚舎、田んが 。ここでいた、アゞア、アフリカ13カ囜からの28人が孊んでいる。

 朝倕1時間ず぀田畑で働き、牛や豚を䞖話する。鶏は自分たちで぀ぶす。亀代で食事を぀くり、昚日はむンドネシアのいためご飯、今日はむンドのカレヌ。有機蟲法でほが自絊自足で暮らし、座孊で蟲村開発論などを孊ぶ。囜に垰るず圌らは蟲村指導者になる。

 創蚭者は高芋敏匘(79)。「呜を支える食べ物を自分たちで生み出す。人ず人が、人ず自然が共に生きる意味を孊んでほしい」。今ではだれもが口にする「共生」を、1973幎から実践しおきた。

 旧満州で生たれた高芋は、炭鉱職員の父芪が砎産し、京郜ぞ戻り終戊を迎えた。土朚䜜業で䞀家を支える。神戞の宣教垫にコックずしお採甚されたが、本を芋ながら初めお䜜った。その瞁で掗瀌を受け、米囜ぞ留孊、牧垫ずなる。

 東京の神孊校の教垫だった72幎、バングラデシュにいるカナダ人神父から、「日本補の耕運機500台が枯で野ざらしになっおいる。皲䜜をしに来おほしい」ず頌たれた。50人の有志を連れお、4カ月間、田んがで働いた。そのずきの有志が぀くったのが、バングラデシュに根付いた日本のNGO「シャプラニヌル」である。それにしおも、なぜ珟地で耕運機を䜿いこなせないのか。「指導者がいないからだ。食糧危機に察応するには指導者の育成を」。垰囜した高芋はアゞア孊院の蚭立に奔走する。銀行から1億円の借金をし、6ヘクタヌルの土地を手に入れた。「財産は䜕もない。担保は私を信甚しおくれる人たちです」ず蚀う高芋を、地元の銀行は信じた。

 アゞア孊院の授業は、1期9カ月。日本人もいるが、倖囜人孊生は孊費や旅費すべお無料。最近は寄付が枛っお財政は危機的だ。「今幎は開講できるかどうか盎前たでわからなかった」。苊笑いするのは副校長の荒川朋子(38)。

 高校生の時に高芋の講挔を聞いお感動した。だが、文化も蚀語も違う人たちの共同生掻。仕事の配分などを巡りいさかいもある。

 「誀解がいっぱい起きお、本圓に分かり合えるのかっお悩む」

 うそを぀いた盞手から再び信甚しおもらうには 指導者になる蚓緎では、そんなテヌマもある。

 孊生の䞀人で、スリランカでNGO職員をしおいるランゞャニ・アディカリナ゚ク(39)は蚀う。「私はひどい空腹を知っおいるから貧しい人の気持ちはわかるけど、確かな知識や技術がないので蟲家を助ける自信がなかった。でも、今はもう倧䞈倫」

 卒業生はこれたでに51カ囜1040人。ザンビアの卒業生は母囜に食品加工を教える研修所を䜜り、むンドの卒業生はモデル蟲堎で有機蟲法を教える。

 長厎倧孊熱垯医孊研究所の教授、國井修(43)は、栃朚の自治医科倧生のころ、アゞア孊院に出入りしお䜜業を手䌝った。マザヌ・テレサずシュバむツァヌにあこがれ、高芋に出䌚っお決意を固める。「自分も、䞖界の人ず共に生きるために医孊を磚こう」。高芋の協力で、栃朚の倖囜人劎働者向けに24時間の電話盞談も始めた。

 國井はいた、孊界ずNGO、霞が関を行き来しお、どこにでも顔が利く珍しいお医者さん。灜害珟堎や地域医療、アゞア孊院の卒業生から頌たれお海倖の無医村の巡回蚺療にず駆け回り、「糞の切れたたこ」ず呌ばれる。

 アゞア孊院には、昔も今も日本の若者が蚪れる。仕事も食べ物も分け合う生掻に目を茝かせる。

 「倧切なものを倧切にする。あたりたえだ。倧切なものは䜕か。いのちず食べ物だ。あたりたえに生きる道を孊がう」。そう説く高芋は96幎、「アゞアのノヌベル平和賞」ず蚀われるマグサむサむ賞を受けた。

 あたりたえの生掻 アゞア孊院に集う人たちは、今日も早朝から畑で汗をかく。

(北郷矎由玀)


※本蚘事の出兞や掲茉日時は䞍明です。





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